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ナウエル DL 43 : ウィキペディア日本語版
ナウエル DL 43[なうえるでぃーえる43]

ナウエル DL 43(Tanque Nahuel DL 43)は、アルゼンチン初の国産戦車(中戦車)。M4中戦車の派生型、コピーと誤って認識されることも多いが、設計から製造までアルゼンチンが独自に行ったものである。
==開発==
アルゼンチンの戦車は1両のFIAT3000の導入から始まる。これは試験導入であり採用されなかったものの、イギリスのMk.III軽戦車の輸出型であるヴィッカース M1934を採用し、1937年には12両を購入した。160両の戦車が必要と見込んだ政府は〔
〕、チェコスロバキアのLT-38の導入を計画したが〔当時、隣国のペルーが採用していた。〕、これはチェコスロバキア併合とそれに続く第二次世界大戦勃発により中止された。結果、アルゼンチンは12両のMk.III軽戦車と1928年に3個騎兵連隊に配備されたヴィッカース・クロスレイ装甲車6両3個分隊という貧弱な機甲戦力で第二次世界大戦を迎えることになった〔。

File:IWM-KID-333-Light-tank-MkIII.jpg|Mk.III軽戦車。アルゼンチンへの輸出型ヴィッカース M1934の砲塔は筒状であった。
File:Vickers Crossley Armored Car model1925 IJN.jpg|ヴィッカース・クロスレイ装甲車。アルゼンチンに導入されたのはこれと同系統の6x4型(後輪がダブルタイヤ)である。
File:LTP tank preserved at Real Felipe, Callao, Peru.JPG|ペルーが24両を導入したLTP(LT-38)。M3軽戦車と合わせて1944年に編成された機甲師団の中核となった。
File:ITEM EXTERNO TANQUE EXPEDICIONARIO.jpg|M3軽戦車。ブラジルの数的主力であり、最終的に417両が供与された。M3・M4中戦車も供与されている。。

第二次世界大戦期、アルゼンチンは中立を保っていたが、これにより隣国であるブラジル、チリとは異なりアメリカ合衆国からの兵器供与の対象国とはなっていなかった〔。また、ヨーロッパ各国には輸出に振り分ける余力が無く、輸入は不可能であった。ブラジルは国境にあるリオグランデ・ド・スル州に計230両の戦車・装甲戦闘車両を集結させており〔、戦車の増強の必要性を感じたアルゼンチンは、軍需本部()の指揮下で1942年に独自の戦車設計を開始した〔。
ブエノス・アイレスのエステバン・デ・ルカ工廠()で設計を指揮するアルフレッド・バイシ(Alfredo Aquiles Baisi)中佐は、木製モックアップの作成から着手した。モックアップは45日で作成され、これを元に2ヶ月かけて試作車両を作成した。当時、一貫した工程をこなせる軍需産業は存在せず、国と民間の共同作業となり、80社が関わった。
75mm砲の採用、同数の転輪と3組のサスペンションなどにM4中戦車の影響を受けた設計は1943年に完成し、この戦車はナウエル DL 43と命名され、2両が1944年6月4日に公開された。この時、トランスミッションの試験中であったためエンジンは搭載せず、砲撃と旋回のみの披露であった〔〔〔。
1945年には第二次世界大戦が終結、大量の余剰戦車が市場にあふれ安価で入手可能となったことで生産はごく少数で打ち切られ、M4中戦車とファイアフライ中戦車が導入されたが、その後も改良は続けられた〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ナウエル DL 43」の詳細全文を読む



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